novel

チェス

なないろ

コトッ。
白のポーンを一歩進ませてから、ローは顔を上げず視線だけをクロコダイルに向けた。
「どういう風の吹き回しだ?」
男の言葉に、ローはむすりと顔をしかめて言い返す。
「何がだ」
「普段チェスなんてやらねェだろ」
「たまには戦術でも教授してやろうかとな」
「嘘つけ。そんな親切なタチか? お前が?」
「”たまには"と言っただろう。いつもやってやるわけじゃねェ。それに、こんなことをしてやるのもお前だけだ」
ローの返答が詰まった。思わずつぐんだ口を誤魔化すようにルークを大きく前進させる。明らかな悪手にクロコダイルが小さく笑い、黒のビショップでそのルークを転がした。
「勇み足」
「うるせェ......」
ローは頑なに盤面から顔を上げずクロコダイルに問う。
「理由、それだけじゃねェだろ」
「......何が?」
「お前が素直になれるよう、手伝ってやってる」
続け様に問いかける男に、クロコダイルが指先でトントンとチェス盤を小突いた。
「質問が多いな。こっちに集中できないようなら、お前のやる気が出るよう賭けるか? 負けた方が勝った方の頼みを一つ聞く」
「そういうのは後出しで言うもんじゃねェと思うが?」
「勝つ自信がないならそう言え」
「そうは言ってねェ」
「なら他に何か問題が?」
ローはじっとクロコダイルと目を合わせていたが、やがて、フイッと視線を逸らして、白のビショップに手を伸ばした。
「頼みってのは、例えば?」
クロコダイルはチェス盤から顔を上げて、彼を真っすぐ見つめた。
「一晩、ここに泊まれ」
ドキリとローの心臓が跳ねた。 咄嗟に顔を背けてから、ローは動揺を隠すように口を開く。
「そんなことでいいなら」
「............は?」
平静を装って答えた彼にクロコダイルが追い打ちを掛けるように言葉を続けた。
「お前がきちんと理解しているか知らねェが、“ここ”ってのは、このおれの部屋のことだ」
チラリとクロコダイルが視線を向けた先、そこには半開きの扉から、大きなベッドが覗いていた。
それに気を取られたのがいけなかった。
コトン、ローが置いたビショップに、クロコダイルが片方の眉を上げる。
「そこでよかったのか?」
「え?......あっ!」
焦るローを他所に、クロコダイルがクイーンを進ませる。
「チェックメイト」
したり顔でローを見つめる男が、静かに問う。
「クルーに連絡は?」
「......いらねェ」
ローの耳が、ほんのり赤く染まる。
「今日は元々、帰らない、つもりだったから......」
尻すぼみに消えていく声をしっかりと聞き留めて、クロコダイルはニィッと笑った。 「素直に言えるじゃねぇか」
瞬間、ローの視界を覆うようにザアッと砂が舞い上がる。思わず閉じた目を開いた時、 顔のすぐ横、クロコダイルが右の手のひらとフックを背もたれに付き、ソファと自分の 体の間にローを閉じ込めていた。
「なら、遠慮はいらねぇな?」
覆いかぶさるようにこちらを見下ろす男に、ローはごくりと唾を飲み込んだ。


FIN

※後日漫画化予定

なないろ @sAs_subaru7x

掲載:初出
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