novel

寝顔

伊折

とある晴れた昼下がり。グランドラインの春島に降り立ったローは包まれるような心地よい陽気を全身に浴びながらカツカツと音を鳴らして石畳の路地を進んでいく。
港から暫く歩き活気だった街の中心部から外れた場所にある目的の屋敷に着けば扉を開ける前に軽く一息。久々にクロコダイルに会える喜びからか逸る気持ちを落ち着けた。
「よし」
小さく意気込んで手を掛ければ、ギギッーー、とあまり使われることのない錆びた蝶番が音を立て扉が開いた。
いつもならば能力を使っても手短なものと入れ替わってサプライズを演出して反応を楽しんでいるのだが、今回ばかりはそれはしなかった。
何故か?と問われれば、前回男のもとへ訪れた際に能力を使った時、運悪く重要な機密書類と入れ替わってしまったらしく、驚きの後に状況を把握したクロコダイルに散々怒られた後、小言を言われながら怒りを抑えさせるのに一晩寝かせてもらえなかったからだ。腰は痛くなるし、クルーからは隈が酷くなって帰ってきたと騒ぎ立てるしでなかなかと散々な目にあったため流石に今回ばかりはちゃんと扉を使って屋敷に入ることにしたのだ。
その時のことを思い出して、ローはほんの少しだけ顔を曇らせたあと、呼び鈴を鳴らすどころかノックもせずに中の様子を伺う。不用心にも鍵のかけられていない屋敷の中は人の気配は希薄で続く廊下は明かりが絞られ窓も少ないため薄暗い。
歩く度に軋むような小さな音を立てる2階へと続く階段に真っ直ぐに足を進めて目的の一番奥の部屋に向かった。
扉の前に着けば続く部屋の中に微かなよく知る気配が居ることが感じられて自然と笑みが溢れ仕事の邪魔をせぬようにゆっくりと扉を開く。
「っ…………まぶし」
珍しく大きな窓のカーテンが開かれていて思いがけない直射日光にローは小さく声を漏らした。徐々に目がなれてきた頃、いつもならばバリトン声を響かせて迎えてくれるというのにそれないことに首をかしげた。
「あれ、居ない?」
何時も座っている正面の執務机に視線を向けるがそこには誰も居ない。そんなはずはない。気配は確かにあるのにと視線をさ迷わせていると目的の人物は手前のソファーの上で身体を預けて横になっていた。
思わぬ光景についローは目を丸くさせる。
「クロコダイル……眠って、いるのか?」
ゆっくりと近付けば、肩が微かに上下し息をする音が聞こえて生きていることにホッと一息をつく。と同時に驚いた。声をかけても目を覚ます様子が無いことに。
一夜を共にするときも、いつもローが先に眠りに落ちてしまい、そして目を覚ますとクロコダイルは起きていた。
この男の寝顔は初めて見た気がする。
そう思いながら普段見馴れない光景に好奇心が沸いて観察することとした。
いつもフォーマルに堅苦しく閉じられている胸元にあるアスコットタイは外されてテーブルの上に無造作に置かれていてボタンが二つほど外されている。
視線を顔の方に向ければ、普段は後ろに綺麗にセットされて撫で下ろしている髪が乱れて一房顔の方に垂れ下がっており、よく葉巻を咥えて心地よい声色を奏でる口元は微かに開いていた。未だに固く閉じられた目の下は疲労が蓄積して血行が悪くなっているせいか顔の一本の大きな傷と目の間にはいつもは見慣れなれない隈ができていた。
惚れている弱みの贔屓目なのかもしれない。ただ眠っているだけだというのに、そこには大人の色気を感じられて、思わずローは息を飲んだ。
出来心だろう。眠っているクロコダイルに触れてみたいと思ったのは。
早まる心拍数を抑え平常心を意識しながら若干震える手で右手をクロコダイルの垂れ下がっていた一房の髪の毛に伸ばした瞬間ーー
「わっ?!」
いきなり腰を強い力で引かれて、クロコダイルへと吸い込まれるように落ちる。唇同士が触れるまであと数センチのところで色素の薄い瞳と視線が絡んだ。
「……夜這いか?」
それと同時に聞こえるのは心がざわつく何処か愉しそうなバリトン声。何時もの葉巻の残り香と香水が混じった深く重い香りを強く感じ、男の言葉を違うと言い掛けてやめた。
「っ…………空寝してたのかよ」
邪な気持ちが一欠片もないというのは嘘になるから。クロコダイルの前では嘘はつきたくないという思いから、ローの口から漏れたのは拗ねたような声色。
思ったよりも幼い不機嫌さを隠さない言い方にクロコダイルは一瞬だけキョトンとした表情をみせる。
その様な表情も初めてみる気がしたローは動揺してしまい、能力を使えば良いのにそんなことは頭の中から抜け落ちて必死に距離を取ろうと足掻くが、腰の拘束がガッチリとされていて、それも叶わない。
己の上で必死に足掻こうとしている若い男にクロコダイルはフッと笑みを漏らす。
「……もう少し色気を持ってやることだな」
“教えてやろうか?”とわざとらしく頬に接吻を贈り、腰を拘束していた右腕がゆっくりと尾てい骨から骨盤に向かって撫でる。
「っ……、“向こう”へ行かないのか?」
どうしてこの男はこんなにも狡いのだろうか。
どこか負けた気持ちになったローは帽子で真っ赤になった顔を隠すようにして精一杯の返しをした。
その言葉にクロコダイルはローの帽子を剥ぎ取り鉤爪に引っ掻けて右手で柔い髪に触れ優しく撫でる。
「……勿論」

その表情はローにとっては見慣れてしまった他では見せない特別なものだった。

FIN

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伊折 @i0ri923

掲載: 初出
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