novel

唐揚げから始まる前哨戦

伊折

 スモーカーは目を疑った。
 先日成人したばかりの年下の幼馴染が、大学のゼミの飲み会に参加すると言っていたのは昨日の朝だった。
 初めての学友との外での飲酒だということで、心配になったスモーカーは帰りには連絡しろと伝えれば『わかった』と猫のスタンプ付きの返事が返ってきて安心して仕事に就いた。
 夕方頃に『今から飲み会が始まる』というメッセージが届いていたのを確認したのが、息抜きがてらにスマホを覗いた19時を過ぎた頃。時間を確認すれば丁度1時間前の時間が表示されていた。一時間を程経過した頃ならばちょうどいい感じに盛り上がり始めている頃合いだろう。見ているか定かではなかったが、念のために『あまり飲みすぎるなよ』と送って再び仕事に戻った。
 たまっていた事務仕事を終らせたのがそれから1時間後。メッセージアプリを起動させれば、案の定新着のメッセージは届いておらず既読も付いていなかった。2時間を経過した頃ならば、まだ盛り上がっている事だろうと、大して気を留めずに帰宅した。明日は休みだからと軽く汗を流してから、部屋着に着替え冷蔵庫で冷えたビールと冷凍庫で寝かせていたグラスを取り出す。コクコクとよく冷えたグラスにビールを注げば、きめの細かい泡が激務による日々の疲れを見た目から癒してくれる。喉を鳴らして勢いよく飲みこめば、喉越しのいい液体の苦味が日々の業務を労ってくれているようだった。適当に買った総菜の一つである唐揚げを一つ摘まむ。揚げてから時間が経ってしまって特売になっていたそれは冷えてしまって味は落ちてはいるが淡白な脂が疲れた体に染み渡った。
 他の煮物関係の総菜にも箸を伸ばしながら時計を確認すれば20時を30分ほど経過した時間を指している。そろそろ連絡があるのではないかとアプリを立ち上げるも新着はなく既読も付いていなかった。話が盛り上がって二次会に行く流れにでもなったのだろうかと思いつつ「もう終わったか?」と送る。連絡まめな幼馴染みならば気付けば連絡があるだろうと思いながらテレビをつけてチャンネルをまわす。適当に止めた画面の向こう側では、芸能人のトークに笑いが上がっているところだった。特に目ぼしいものがなかった為そのまま適当なチャンネルをBGMにして食事を進める。
 15分もすれば、買ってきた惣菜は全て腹の中に入り、2本目のビールも半分は呑み終えている。新着を知らせるアラームは未だ鳴らず、日々の仕事の疲れが出ているのか何時もよりも酔いが早く回って睡魔を感じた。
「一眠りするか」
 30分後にアラームが鳴るようにセットする。30分もすれば何かしら連絡はあるだろうし、なければ電話を掛けるかと、欠伸を洩らしソファーに体を沈め目蓋を閉じた。 

 次に意識が浮上した時に一番に感じたのは眩しい光。つけっぱなしになっていた照明の光だろうか?それにしては、窓の方からに感じるのはなぜだろうか?それに聞こえてくる音は朝の情報バラエティ番組でやるような内容に違和感を感じた。ガバッと勢い良く起きあがれば、窓の外は太陽が高く昇っていて清々しい陽気であった。寝過ごしたとテレビをみるもタイミング悪くCMに入ってしまったようで画面には時刻が表示されていない。慌ててスマホの時計を確認すれば、8:16の文字。メッセージアプリを慌てて起動させて、一番上にある文字をタップする。
 新着のメッセージはなく、既読もついていない。いよいよ本格的に心配になってきた。
 なにかトラブルに巻き込まれているのではないかと嫌な汗が背中を伝う。
 一旦落ち着こうと煙草を一本咥えて火を点す。深く呼吸をすれば煙が肺を満たしてほんの少しだけ落ち着いた気がした。
 そして、一息ついてアプリを閉じて通話ボタンを押してみれば、呼び出し音は鳴っている。充電が切れているわけではないようだ。
 暫く鳴らしてみても呼び出し音が続くだけで、そのコール音が余計に焦りを積もらせる。
「なにをしていやがる…………」
 声と共に舌打ちが無意識に漏れた。乱暴に通話ボタンを切って『今から家にいく』とメッセージを送り、寝室に向かい適当に見繕って着替える。ジャケットを羽織り財布や携帯や鍵、そして手帳を手にとって家を出た。



 愛車に跨がり着いた先は、自宅から電車だと三駅先にあるマンション。駐車場に愛車を置いてエントランスにたどり着いた。オートロックの前で部屋の番号を打ち込んで反応を待つ。20秒程しても反応がないため、呼び出しをやめて幼馴染みの身元保証人の兄弟から預かっているオートロックの共用鍵を差し込んでマンションの中に入った。上の階で停まっていたエレベーターを呼び寄せて目的の階の番号を押す。ゆっくりと上昇する箱の中で気持ちが逸る。
 エレベーターが停止して、目的の扉の前に到着した。もう一度呼び鈴で呼び出しをしてみる。どうか飲み会の後無事帰宅して疲れて眠っているだけであってくれと願う。
 しかし、部屋の中では物音は聞こえず呼び鈴の音だけが静かな廊下に響き渡った。鍵を差し込み回せばガチャリと音を立てて開く。扉をゆっくりと開ければチェーンが掛かっていないようであったが、見慣れた靴が乱暴に転がっていて、その横にそれよりも一回りは大きく見える見慣れない革靴が揃えて置かれていた。
「っ…………」
 嫌な予感がした。ごくりと息を飲み窺いつつ音を立てぬように部屋の中に入る。けして長くない廊下を歩きリビングへ繋がる扉を開ければ、カーテンが閉められて薄暗いシン……と静まり返っている部屋が現れた。物が整理されて荒らされた様子もない事に多少安堵する。リビングの奥、寝室として使われている部屋の扉は閉められている。恐る恐る手を掛けて扉を開くと、部屋の中心にあるベッドに膨らみがあり小さな寝息が聞こえた。
「……ロー寝ているのか?」
 ホッと安堵したのも束の間、よくよくみてみれば幼馴染みーーローが1人だけがいるにしては妙な膨らみがあった。
 そして周囲に注意を配ってみれば、ローの普段着ているパーカーと、細身のジーンズがベッドの脇に脱ぎ散らかす様に放置されていている。そしてその傍らにはオーダーメイド品だと思われる仕立ての良いスーツが軽くふたつに畳まれ、被さるように置かれていた。玄関にあった見馴れない靴と合間ってカッと一瞬で頭に血が上る感覚に捕らわれ、勢い良く上布団を剥ぎ取った。
「ロー。……っ…………なっ?!」
 最愛の幼馴染みの名前を呼び剥ぎ取った布団の中の光景にスモーカーは思わず絶句した。
 上布団を剥ぎ取った中には顔に一線の傷を持つ自分よりも一回り近く年上の男とその男の腕を枕にしてすやすやと寝息を立てている幼馴染み。
 脱ぎ散らかされた衣類から想像ができていないわけではなかったが、布団を剥がした上半身部分には、一糸身に纏わぬ姿で、極めの細かい肌が密着していることにゴクリと息を飲んだ。
「ん…………すも……かぁ…………?」
 物音に気が付いたのか、目を擦りながらローが寝惚けた様子でスモーカーの姿を捉えて小さく呟いた。
 スモーカーには、その声は心なしか掠れているように聴こえて邪な考えがよぎる。
「ろ、ロー…………大丈夫か?」
 目を覚ましたローに動揺を掛けせぬ声で言葉をかければ今一状況を把握していない様子で起き上がり首をかしげた。
「ん?なにが…………えっ?!え!!!」
 未だに寝ぼけ眼な様子のローはスモーカーの姿をみたあと、周囲を見渡し己の部屋であることを確認した。そして、視線を下げ横で眠っている男をみた瞬間、瞳がこぼれ落ちるのではないかと錯覚するほどに目を見開いて叫び声をあげた。
その声に眠っていた男の眉間に皺が深く刻まれる。
「な、なんで?!教授が…………え?!」
「……んっ…………とら……ふぁるがー?」
 掠れたバリトンの声が幼馴染みの苗字を呼べばビクリと背を震わせ狼狽している。ベッドの上で半裸の男が2人。この状況はスモーカーからしたらどうみても酔った勢いでワンナイトをした後にしかみえない。
 二十のまだ世間を知らないガキを酔わして、介抱と称してそのまま手を出した?
 お巡りさんこいつです。いや、警察はおれだった。新米だが。そんなボケを脳内で繰り広げるぐらいには、スモーカーは動揺していた。
「え、なんで此処に…………ってか、どうして服脱いで、え?」
「……いつもの落ち着きはどうした」
 呆気にとられているスモーカーよりも動揺をしているローは目を白黒させて頭の整理をしているのか問いかけの様な小さな呟きを声に出している。隣で眠っていた男は意識が覚醒したらしく呆れたようなしっかりとした口調で落ち着けと諭した。
「…………で、まずはこいつは誰だ?」
 視線がこちらを向いて続けられた言葉は何処か諌めるようなしっかりとした口調だ。その声は訝し気な声で、威圧感だろうか何も悪いことをしているわけじゃないはずなのに非難されている様な気分に陥る。
「お馴染みのスモーカー」
 ローよそこは紹介などしている場合じゃないだろう。

 心の中できょとんとして男に紹介したローにツッコミをいれる。まだ状況が飲み込めていないせいで口を閉ざし2人の様子をまじまじと見ていると、男と視線がかち合って含み笑いを浮かべられた。その顔はよくよく見てみれば職場の写真で見掛けたことのある顔で目を軽く見開いた。
「なるほど、噂の猟犬か」
噂って一体なんなんだ。
「あ、スモーカーこの人は」
「知っている。サー・クロコダイルだろ」
 有名人も有名人だ。大学教授を行っている傍ら会社を立ち上げて成功を収めている男。それだけならば何も問題はないのだが、反社団体と深いつながりがあるなど、黒い噂が実しやかに囁かれている。今でこそ火のないところでも煙を立たして騒ぎを起こす輩がいるが、この男の場合は隣の部署でも話題が上がっている程度には黒に近い。  観察をされている様な視線を浴びつつ、睨み返せば軽く肩を上げて息をつかれた。
「スモーカー君、そう睨まないでいただこうか? 言っておくが、キミの大切な幼馴染のせいでこうなっているんだ」
「は?どういう意味だ」
 被害者はこっちなのだよと言ってくる白々しい男の言葉に自然と口調が荒くなってしまう。
「え……おれ、教授にご迷惑をかけて……?」
「覚えていないのか?」
 顔を一気に青ざめさせたローに首を傾げた男は口を開いた。
クロコダイルが語るには、普段忙しく参加しない飲み会で学生たちのペースに呆れながらも雑談をしながら飲んでいた。1時間を経過した頃の事だった。座敷の席に通されたため学生たちは自由に席を行き来しており落ち着いて飲みなおしたいと思っていたところローがふらつきながらクロコダイルの下にやって来た。随分と酔っている様子のローに「大丈夫か?」「気分が悪くないか?」と心配の言葉を投げかけたら、ふわふわした空気を漂わせつつ、隣に腰掛け、数言葉交わしたのちそのままクロコダイルの膝を枕にするように寝落ちてしまったそうだ。そのまま引き剥がそうにも力が思いの外強く、離すことができずにそのまま送り届けることになったらしい。
 一応弁明すれば、無理やり酒を飲まされ泥酔させられた訳ではなかった。ただローを除くゼミ生の全員が枠の域の酒豪であり、一方のローは酒の許容量は世間一般的には飲める方に分類されるが、一般の粋を出ない。そして何よりも酔いが目に見えて出なかった。無理はするなと言いつつも己が飲めるばかりにあれよあれよと注いでいってしまったらしくクロコダイルに叱られた学生たちは二度と飲ませすぎないと誓ったのはまた別の話。
「まぁ、アレの誼みだ。気にするな。それに、まさかあそこまで弱いとは思わなかったからな、止めなかったおれにも非はある」
 その言葉にローは青ざめていたはずの顔が何処かはにかんで嬉しそうにしているように見えるのは気のせいだと思いたい。そしてスモーカーは一応は襲われていなかったことに安堵した。
すると、グ~となんとも情けない音が己の腹から部屋に響き渡った。そういえば夜は軽い総菜で朝食は何も食べていなかった事を思い出した。
「あ、もしよかったら飯食べていくか?」
 間抜けな音にプッとつい笑いを漏らしたローは、「凄く心配させたみたいだし」と続けて魅力的な提案をしてきてくれて、即座に頷いた。それに嬉しそうな表情を浮かべるローに愛おしさを感じていれば、おずおずとローの視線がもう一人の男に向かい、嫌な予感がした。
「教授もよかったら……」
「いただこう。それとシャワーを借りても?」



 これはどういう状況だろうか。どうしてよく知りもしない要注意人物の男と、顔を合わせて大皿にある唐揚げを食べなければならないのだろう。当の家主のローは、軽く食事を済ませたと思ったら、足早にシャワーを浴びにいってしまって今この部屋には二人っきり。
 ローが揚げてくれた唐揚げは下味がしっかりとついていて、柔らかい身を噛めば肉汁がジュワッとあふれ出す。贔屓目もあるだろうが、夜に食べた唐揚げと比べ物にならないほどで、こんな状況でも絶品だった。そして炊かれたばかりの粒が輝いている白米も、白い湯気を立ててより食欲が増した。
「それにしても、よく部屋に入れたな?」
 唐揚げを噛み締めて白米をかきこんでいると、目の前の男、クロコダイルが徐に「鍵はちゃんと閉めたはずだが」と口を開いた。
「緊急時用に保護者から鍵を預かっている」
 教えてやる義理もなかったが、牽制の意味も込めて保護者公認の仲だと知らしめるように言えば、クロコダイルは怪訝そうに眉を顰めた。
「アレがただの幼馴染に?」
 “ただの”と何処か強調され、若干のトゲが感じられる言葉に箸を進める手を止めた。
 男の社長という職業や過去の経歴から、もしかしたら保護者の兄弟……とりわけ兄の方とは知り合いでも不思議ではないことを思い出す。
「……アレっていうのは、兄の事を言っているんだろが、おれの言っているのはソレの弟の方だ」
「あぁ、そういう事か」
 納得したという言葉を最後に再び沈黙が訪れた。咀嚼音とカチャリと食器がなる音に支配される。正直にいえば勢い良く食べてさっさとこの空間から立ち去りたい。しかし、先に立ち去ればローと目の前の男が二人っきりの状況を易々と自ら産み出すこととなる。
 スモーカーはクロコダイルのことを黒い噂がある無しを抜きにしてでも、信用は全くしていなかった。一晩ローに手を出してないとしても“次”もそうだとは限らない。
 そう思えば最低でも一緒にこの部屋から……マンションからは確実に出る必要があるとスモーカーは考えている。押しに弱く警戒心が一見あるようですぐに絆されてしまう幼馴染みを過保護なまでに愛していた。
 目の前の男の食べる姿を覗き見るように、ペースを合わせて食事を進める。
 暫くすれば机の上の皿には唐揚げが1つになるまで減っていた。色々考えながら食べていても絶品なことは変わらず、他よりも一回りほど大きなそれに箸を伸ばして、掴んだと同時に向かい側からも箸が伸びて同じものを掴んでいた。
 視線が絡んだ。普通なら迷惑をかけてしまった客人に譲るべきなのかもしれない。だが、何故か目の前の男には譲ってはならないと本能的に感じた。
「…………」
「…………」
 睨み合うこと5秒ほど。通常ならば気にも止めぬような短い時だが、心なしか強敵を前にしたような、実戦を彷彿させるような独特の緊迫が包み込んで長い時のように感じた。
  お互いに差程力はまだ入れていないが、引かないせいで唐揚げが若干持ち上げられて宙に浮く。

「スモーカー君、いくらか食べ過ぎではないか?」
「あんたこそ、朝から揚げ物は胃に堪えるんじゃないか」
 若くないんだからと暗に言えば口許を歪ませる。
「クハハッ言ってくれる」
 愉快そうに笑っているが眼光は鋭い。続けられた言葉に思わずゴクリと息を飲んだ。
「そこまで幼馴染みが大切か?」
「…………っ」
「あの兄弟といい、トラファルガーの周りには過保護者が多い」
 君も苦労していることだろう?と何処か見透かした様な口振りだ。
「…………何処まで知っていやがる」
 スモーカーの言葉にクロコダイルは笑みを深める事で答える。無意識にスモーカーの箸を持つ手に力が入り、クロコダイルもそれに応じるように力を込められた。2膳の箸によって押さえられた唐揚げからジュワリと肉汁が溢れ出して箸を伝って滴を作り皿に落ちようとしている。相手も引く気がない事を感じ取ったスモーカーの口から言葉が発せられようとした時、横から見知った顔が現れたと思ったら、その口が小さく開かれて最後の唐揚げを奪っていった。
「っ…………」
 スモーカーは視線を直ぐに正面に向ければ、目年上の男も目を丸くして同様に驚ているようだ。現れた顔の方に視線を向ければ、程よく鍛えられた細身の腹筋がそこにはあり、少し視線を上げてみればモグモグとまるでリスか何かのように満足そうに唐揚げを頬張っている幼馴染み。腰にはバスタオルが巻かれていて隠れてはいるが、肩にタオルを掛けた湯上がりの火照った上半身からは湯気が立っている。しっとりと水分を含んでいる髪から滴がきめ細かい肌を伝っていて妙な色気を感じさせた。
「っ…………ロー!!お前っ!!」
「なんだよ、唐揚げ1つを大の大人が取り合ってるから仲裁をしにしたんだろ?」
 思わず頬を赤らめて叫んでしまったスモーカーにそこまで怒る必要あるのかよと拗ねたような表情を浮かべる。
「…………トラファルガー、行儀が悪いぞ」
「箸渡ししてる教授達には言われたくないんですが」
 そんな二人のやり取りを眺めていたクロコダイルはローの言葉を聞きハァと深いため息をついて立ち上がる。ローのそばにやってきたかと思えば、肩にかけていたタオルを奪い取り濡れている髪へ被せてワシャワシャと乱暴に撫でた。
「風邪を引く前にさっさと髪を乾かして服を着てこい」
「えっ…………あっ、はい!」
 反射的に頷いたローはそのまま着替えのある寝室へと消えていく。タオルの下に隠れた肌がやけに紅く見えたのは風呂上がりのせいだとスモーカーは願わずにはいれなかった。



FIN

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